北の国の通勤電車へ寄せて。

東京、通勤電車。皆眠っている。静寂。

たぶん、じゃなくてきっと、

みんな、みんな疲れている。

この国は、この土地は。

それでも東京には潤いがあった。

地方の市街地。廃退した北の市街地。静寂?

通勤電車。ここは通勤電車?

みんな、みんな、泳いでいる。

ここには潤いがない。

雪解け水はあるけど、水がない。

水を求めて、求め続けて泳ぐ。

次は地方都市へと逃げようか。

+とか-とか0とか

「偏見」とか「固定概念」とか「ステレオタイプ」とか。人間はきっと全てを疑っては生きていけない。多くのものを「これはこう」と型にはめて生活している。「生きている」って透き通っているから「生活している」のほうが実在感があってやっぱり使い分けをしたい。

 

それは、自分自身を守り、時に誰かを傷つける。「差別」というやつだろう。自分のなかの常識で、ちっぽけな存在の内の規範で、外の誰かを傷つける。情けない。

 

0からあらゆるものを捉えたいけれど、人間にそれは不可能だろう。自己防衛の機能が無意識のうちに働いている。でも、+と-を繰り返したら、いつか0になれるんじゃないだろうか。

 

人間はストレートに0へたどり着けないから、回り道して0に向かおう。